Keynes, J. M. (1930) “Economic Possibilities for our Grandchildren,” in Essays in Persuasion 「Economic Possibilities for our Grandchildren:孫たちの経済可能性」の山形浩生訳を読んだ。

ケインズ『孫たちの経済的可能性』山形浩生訳 Keynes, Economic Possibilities for our Grandchildren, 1930, Japanese translation Hiroo Yamagata 2015

もともとは落合さんの5Speechで言及されたのがきっかけで興味を持ち、ググってみたら新しめの日本語訳があったので読んだ次第である。

本論文の問題点はご承知?のとおり、経済の発展は平等に人々に分配されるわけではないのと、発展を下支えする資源は無限にあるわけではないことである。

一方ポジティブな面として、経済問題が解消されたわけではないが、人々の価値観はケインズが指摘したように、単なる富の獲得と蓄積ではなくなってきている。

ただそうすると、富めるものは自身の経済問題から解放された余暇をさらなる富か自身の幸福あるいは両方を希求し、持たぬものはますます経済問題と変わる社会の板挟みにあって喘ぎ苦しむ。

きれいきたないという話は、まさに文化にも通じる。文化はきたないところから……言い方が悪いな(笑)、ムダや非合理から生まれるのだから。文化の豊かさは心の豊かさだなんて勝手に思っているが、心の豊かさはムダや非合理を許容する器の広さか。心の豊かさと経済的ゆとりは必ずしも比例しないのが複雑だが。

最後に、響きが好きなので論文訳中の詩を引用しておく。生きている限り、私は歌い続けたい。今は……口パクだろうか。南無三

友よ、悼まないで、決してあたしのために泣かないで

というのもあたしはこれから永遠にひたすら何もしないのだから

天国は詩篇や甘い音楽で充ち満ちている

でもあたしは歌う側には一切まわらない