プロローグ
Interfacing with UIKit — SwiftUI Tutorials | Apple Developer Documentation
estimated time 25 min, usage time 1 h 40 min。ふーん。
ただ、当初の予定とは違って残り2つはアップルウォッチとマックのための拡張なので、いったんおいとく。
→予定3h45minのうち2h余ったとポジティブに捉えてGHOST IN THE SHELLを視聴ひゃっほい
GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0まとめ
鬼才・押井守が士郎正宗の同名コミックを映画化し、日本のみならず全米でも記録的なヒットを飛ばしたSFアニメーション。作画の素晴らしさやデジタルを駆使した画像の美しさはもちろん、押井監督のシュールかつ重層的な作品世界が秀逸。また監督自身がこだわり抜いた、リアリティ溢れるガン・アクションも見どころ。今回放送する作品は、1995年公開作品に最新デジタル技術を使用し、新作3DCGカットや最新のデジタルエフェクトを導入し、監督自ら全カットに完全リニューアル作業を施した「攻殻機動隊2.0」となります。
GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0 | 日曜アニメ劇場 | 無料アニメ番組 | BS無料放送ならBS12(トゥエルビ)
話のさわり
身体のサイボーグ化と記憶の外部保存が可能になった時代、公安9課「攻殻機動隊」に所属する草薙素子たちは、高度なサイバー犯罪を繰り返す通称「人形使い」が日本で活動するという情報を入手してその足取りを探る。彼女(性別は不明だった)は人間ではなく、外務省が密かに開発した人工知能だった。ネットの海に触れるうち、自我を獲得し生命体になったと主張する彼女は、接続した義体を通して草薙素子に接触し、同化することを望む。草薙素子と同化することで、彼女は「子孫を残す」という種の保存を目的とした活動を行い、生命の基本的活動を通して真に生命体たらんとしたのだ。最後、脳核を移植して別義体に移った草薙素子は、警察を離れて何処へと出立する。
基本情報
【出演者】
草薙素子:田中敦子
バトー:大塚明夫
トグサ:山寺宏一
イシカワ:仲野裕
荒巻:大木民夫
中村部長:玄田哲章
人形使い:榊原良子
ほか
【スタッフ】
原作:士郎正宗(講談社刊「ヤングマガジンKCDX」所載)
監督:押井 守
脚本:伊藤和典
演出:西久保利彦
キャラクターデザイン:沖浦啓之
メカニックデザイン:河森正治、竹内敦志
美術:小倉宏昌
音楽:川井憲次
音響:若林和弘
色彩設定:遊佐久美子
CG制作:オムニバスジャパン
2.0版CGI制作:POLYGON PICTURES、Motor/lieZ
2.0版CGIスーパーバイザー:林 弘幸(海亀事務所)、佐藤敦紀
2.0版サウンドデザイナー:ランディ・トム
2.0版スーパーバイジングサウンドエディター:トム・マイヤーズ
2.0版レコーディング:スカイウォーカーサウンド
アニメーション制作:プロダクション I.G
感想
大きく分けるとこの作品の注目点は2本立てとなっており、「生命の定義」と「静動の対極的演出」である。
前者は人類にとって不変のテーマである。仮に宗教の誕生からだと考えれば1万5千年、哲学の誕生からだとしても数千年はくだらない。SFにとっても御用達。とくに生命=自然とScience=人工ですぐに対比構造が作られるのでアイデアやストーリーが膨らませやすい。ただ、ググればいくらでもその手の考察記事が見つかるだろうし、専門家でもないのでここでは適当に話してお茶を濁しておく。
さらに本作では「自我」と「生命」の2つが分けられているように感じる。「あなたがあなた自身であろうとする制約」(草薙素子)は裏を返せば自己アイデンティティの確保である。制約から放たれたとき、果たしてそこに「あなた」は存在し得るのだろうか。拡張していく個人という意識が、どの時点で「個」と認識されなくなるのか。記憶によって個人たりうるのであれば、外部保存が可能になった世界ではどこまでも個人は拡張できるのか。あるいは、外部保存が可能になったということは記憶に主観がなくなったと捉えられて、逆に記憶から個人が組み立てられるという主従関係の逆転が起きるのではないか。
現実には、DNAを記憶領域としてハードウェア化する技術が開発され始めている。実用まではまだかなり先の話だが、将来的には個人の記憶を外部保存できる時代が来てもおかしくない。本作ではどっちがいいと答えを出しているわけではなく、我々個人こそが問題意識を持つように促しているとも言える。
「生命」としてのアイデンティティはまた少し別の話である。本作では自己保存、生殖行為による子孫作製、を行えてはじめて生命体たりえると主張している。その意味でいえば、記憶を複製できれば個人としての生命体は定義されるのだろうか。
さて、演出についてである。全体を通してみると、動きが少ない静の演出と、アクションシーン中心となる動の演出をはっきり意識しているように思えた。作品の活性を一度下げてから上げれば、ギャップ効果でより鮮烈過激な印象を与えられる。ノスタルジックな市街地を見せてからの、SFガンアクション。誘拐追跡中に、琵琶?音楽のみでクールダウン。雨で雰囲気を押し下げてからの、戦車バトル。地を凹ませて重量を感じさせたり、水の波紋や軌跡を使って光学迷彩アクションに動きをもたせたり、戦車の蓋を開ける際これでもかとばかりに(人工)筋肉を躍動させたり、これこそ演出だよなって思える。
「マテバでよければ」か、かっけぇ。あてにされてなかったが 笑
たぶん昔に一度1995年作品を観たことがあると思う。ただ、周りが騒がしかったので何をしゃべっているかわからないシーンが多く、当時はよくわからないままに終わった気がする 笑
鑑賞中のメモ
強装弾サブマシンガンでぶち抜く演出、余計な音をなくす
ジャンプで凹ませて質量アピール
一部3D表現
自分が自分であるためには多くの情報が必要
ノスタルジックな市街地とSFの組み合わせ
何度も流される何言ってるかわからない歌はパプリカみたい
マテバでよければ か、かっけぇ
DNAもまた自己保存のためのプログラムに過ぎない
記憶によって個人たりうる
てめぇの待てばなんざあてにしてねぇよ
サメみたいなヘリコプターの3Dアニメーションはよき
誘拐追跡中に、琵琶?音楽のみ、デストピア感。絶望、少女終末旅行にもつうじる
雨、化石や生命の樹?を撃つ戦車
光学迷彩で水の跡が残るジャンプ
筋肉の躍動
あなたがあなた自身であろうとする制約
上位存在になろうとするのはlainでもあったな
童のごとく
ハードボイルドもあるとおしゃれになる